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〜 メンバーの感じたこと 〜

これまでのトピック


輝くような白い壁


マンションや建売住宅の室内壁は、たいていの場合ビニルクロス仕上げになっています。安くて仕上がりのムラが少なく、張り替えればきれいになるためとても使いやすい仕上材です。

でも、インテリア雑誌でよく見かける真っ白な壁に憧れる方も多いでしょう。そうした壁はクロスなどの貼る仕上材ではなく、塗る仕上材である場合が多いです。

昔の蔵の白い外壁や、エーゲ海の島々の白い街並などには漆喰が使われていますが、現在室内の塗り仕上げの多くはEPと呼ばれる水性塗料を使っています。

塗る仕上材はつぎ目の無い1枚の壁に見せることができるため、伸びやかですっきりした印象になります。空間の構成にこだわる場合にも、ねらいどおりの雰囲気を出しやすくしてくれます。何より出来上がった壁面がとても美しく、まさに輝いているようです。

反面、クロスに比べて汚れがつきやすく清掃しにくいという欠点があります。また職人の腕の差が出やすく、塗りムラも存在します。どんなにうまい職人でも全くムラがないというわけにはいきません。

ただその分、手づくりの雰囲気を感じることができます。また、塗り仕上の壁がだんだん汚れていく様子は、生活の痕跡が蓄積されていくようで結構愛着が湧くものです。

費用はビニルクロスより少し高いか、場合によっては同じくらいです。汚れをあまり気にしない方にはおすすめです。 (H)


住んでみてレポート#004


この家に住んで、うれしかったことの一つは「窓」です。窓によって得られた開放感・眺望といった方が正確かもしれません。

密集した住宅地にあるため、低層階は周囲を家々に囲まれています。(上階では都心の夜景などを望めるのですが・・・) にもかかわらず、まったく圧迫感はありません。 それは、逆梁工法を採用することにより天井まで達する高さを確保した窓がついていることに加えて、敷地内の道路に面する南と東の2方向に空地をとって、建物と隣家との距離を十分に確保しているためです。

そして、低層階ならではの特典で窓から木々を見ることができます。掃き出し窓からは、空地に植栽したイロハモミジがバルコニー越しに見えます。こいつは私が事務所のメンバーと習志野の山奥で見いだした選ばれし一本でありまして、ちょっと愛着を感じています。冬であった竣工時は枝のみの状態でしたが、芽が出て新緑となり日々目を楽しませてくれます。秋になるのがとっても楽しみです。こういうことは賃貸の家賃評価にはあらわれないおまけのようなものですが、設計者としては空間の一部として大切にしていることでもあります。

引っ越した当初は、隣家の壁がツタで覆われていたのも美しかったのですが、残念ながら今は、ツタを撤去されたようです。住んでる方は大変なのでしょう。(W)


厳島神社


電気の無い時代の建築は、やはり空間に奥行きを感じます。

天井は深く暗い色で、その先に無限の虚空が広がっているかのように視界から消えていきます。朱色とのコントラストのなせる技ですね。

建物全体が逆光になる時間帯なので、本殿の柱は天空光だけを反射していて、やわらかい反射光はまるで柱自体が発光しているかのよう。

連続性、伸びやかな水平のラインの中に、少しずつ加えられた小さな遊びが日本独特の細やかさを感じさせてくれます。

駆け足の訪問でしたが、たくさんのいろんなヒントをもらい、ついでに癒されてきました。 (H)


住んでみてレポート#003
バルコニーのこと

ようやく生活も落ち着いてきました。今回は部屋の間取りについて説明したいと思います。

まず、なんといってもこの部屋で最も特徴となっているのが「バルコニーイン」のプランであることです。一般的な集合住宅のように北側の玄関から住戸内へアプローチする構成とは逆に、南側のバルコニーから住戸内へとアプローチする構成になっているのです。そして、バルコニーに面して土間スペースとリビングスペースがあり、その奥にサニタリー・ベッドルームへとつながるプランとなっています。

このプランには、いくつかのメリットがあると考えています。

まずは、アプローチが南側のバルコニーからとなることによって、一般的な集合住宅に多く見られる単なる靴脱ぎ場としての玄関とは異なる、明るくて活動的なエントランス空間が生まれるということです。このアプローチ体験は今回の引越しで最も楽しみにしていたことの一つなのですが、朝明るい場所から外出したり、帰宅してドアを開けると、鉢植えや、リビングの温かな明かりなどが目に飛び込んでくるのは、かなり気持ちのいいものです。外出、帰宅という瞬間的な行為がもたらす心理的な影響の大きさを実感しています。この先もっとグリーンを増やして、ドアをあければ森 みたいな感じにしてみたいという気もしていますが、観葉植物をうまく育てられたことがないのでどうなることでしょうか。

また、バルコニーはエントランススペースとして機能するとともに、室内からの連続したアウターリビングとしても機能するということがあります。1つのスペースに機能を重ね合わせることにより、それらを別々に設けるよりも面積の効率化が図れ、居室をより広く確保できるというわけです。ちなみに、この住戸は各スペースを直接つなぎ合わせて廊下を無くすことでも効率化を図っています。

さらに、バルコニーやリビングスペースといった活動的な領域から、奥へと行くほど次第にサニタリーやベッドスペースといったプライバシー性の高い領域へと移行していくプラン構成とすることができ、Public/Private分離の明解なゾーニングが実現できました。玄関の位置を北から南へ反転させることにより可能となった合理的なゾーニングといえます。

設計者として、単身者やニ人暮らしの住まいについてまず考えたことは、都心だから仕方ないとあきらめかけていた住まいへのごくあたりまえの要求を満たしたいということ、閉ざされがちな都市生活の中で外部や自然を感じられる瞬間を少しでも取り戻したいということでした。

私の以前の住まいも、間口が約2.5mくらいと狭く、奥に細長い典型的な単身者用マンションで、玄関を入ってすぐサニタリーとDK、その奥に寝室として使う一部屋があり、その部屋に面してバルコニーが設置されているというプランでした。バルコニーには普段あまり出ることはなく、バルコニーに面した窓は家のなかで一番大きな窓であったにもかかわらず、寝室にあったためほとんどカーテンを閉じていました。その頃と比較すると、格段に心地よい生活を送ることができています。 (W)


住んでみてレポート#002
引越し

いよいよ迎えた引越しの日、朝から荷物を運び入れ、とりあえずの生活を送るための片付けをなんとか終えたころ、あたりはもう暗くなっていました。

少し落ち着いたところでこの部屋を見まわしてみると、これまで現場監理で何度となく見てきた部屋に自分の荷物が置かれている光景はとても不思議な感じで、なんだか少し落ち着かない感じがしました。

普通の引越しなら、自分のものが置かれていくにつれ、自分の居場所としての実感を徐々に強めていくのでしょうが、今回に限っては、いままで見慣れていた部屋のなかに自分のものを置くほどにその実感が薄れるという現象が起こったのです。

私にとっては、この建物への仕事を終えた終末感と新しい生活への創始感が入り混じっている上に、いままで別々のものとして見慣れていたものが急に一緒になり、一瞬混乱状態に陥ったからなのでしょう。今日からの生活で私はどんなふうに感じるのだろうか?とますます興味が沸いた瞬間でもありました。

この集合住宅はオール電化住宅なのですが、(この話題についてはまた別の機会にと思っています)オール電化、電気温水器については主人も私もはじめてで、私はいいところを見せようと、片付けの途中に、入居のときにどっさりと渡された取扱説明書の中から電気温水器の説明書を引っぱりだし、温水器をオンにし、お湯をつくりはじめておきました。

しばらくして、お風呂に入ろうとしたところ、シャワーからお湯が出ないではありませんか。いくら待てども水のまま・・・

部屋に戻り、何か間違っただろうかと取説を読み返してスイッチを切ってみたり。これまでの工事現場の様子が走馬灯のように頭のなかを巡りだし、温水器のカバーをはずして配管を確かめてみたりもしましたが、お湯はでてきません。結局、引越しの疲れからその日は眠ることに。

翌朝再度チャレンジしてみたものの、お湯がでてくる気配はありません。ようやく、これは温水器のせいではないかもしれないと思いはじめ、あらためて浴室をよく見てみると給湯ネジが絞ってあるだけでした・・・やっとの思いでお風呂に入れたときにはお昼近くとなっていました。

この部屋のことをよく知っていると思うだけに、難しく考えすぎてしまいました。主人からは白い目でみられ、これはいつか汚名返上せねば!

少々、力が入りすぎてしまった引越し初日でした。(W)


住んでみてレポート#001
プロローグ

4月某日
これまで設計を担当していた集合住宅の一室に引越しすることになりました。

その集合住宅は、都市に住む1〜2人暮らし層の生活、住まいの現状を見つめ直すといった企画にはじまり、設計、現場監理と2年以上を経て今年の3月に完成した集合住宅です。

建物が完成し、オープンハウスなども終えた後、その室に実際住んでみたらどんな感じだろうという話が持ち上がりました。自分が設計した家と言っても、自邸ではなく、不特定の人が住むことを考えて設計した賃貸集合住宅ですから、自ら一入居者として住んでみるということに、事務所の人々も私自身もとても興味を感じたのです。

通常ならば建物の引渡しが終わった後の様子は断片的にしか知ることができないことがほとんどですから、常に目をかけていられる、そして実際に使えるということは非常に有意義なことでもあります。

そこで、その日のうちに家に帰り、夫(わが家は現在共働きの2人暮らしです。いわゆるDINKS)に相談したところ、突然の話にいささか驚きが隠せないようでしたが、快く了解を得ることができました。

こうして自分が設計を担当した家(室)に住むというまたとない機会を得たというわけです。

このシリーズでは、生活のようす、反省点も含めて住んでみて感じたことなど、この体験生活のなかで起こることについてありのままに書いていきたいと思っています。(W)


#006:箱根訪問

設計の相談に乗ってほしいと声をかけられ、箱根にある恩師の家へ、久しぶりにお邪魔しました。

数年前に定年で退官されており、最近の法規には疎いから現役にチェックしてほしかったみたいです。ま、結局作図も手伝うことになりそうなんですが。。。

以前にご自分で設計した住宅を、定年を機にタイミングよく買い入れてお住まいになっているのです。

じつは自邸を設計して住むのはけっこう勇気がいるもの。なぜなら、訪れる人はみな、設計者本人の集大成だと思ってじっくり見ようとするので、雑然と住むわけにもいかない。それに、何かやり残したことでもあれば何かにつけ思い出してしまい、毎日後悔しながら住むことになってしまいます。

恩師の家は、開放的で気持ちよく、奥まで土間が通り抜けるしつらえでとても使いやすい住宅です。そして、いつも季節にあった小物たちで室内が彩られています。素敵なのは、生活に必要なものだけが置いてあること。飾るためだけの飾りは最小限しかなにのに、とても心地よい空間が演出されているのです。

「私もいつか、自分の設計した住宅でこうしてのんびり過ごしてみたいなあ」

訪れるといつも渡される、小さなコーヒーミルで2人分のコーヒー豆を挽きながら、そんなことを思ったのでした。(H)


#0052005/10 小布施の街並

街並というのは、つくろうと思うととても難しいものです。ほんの100年前には、同じ地方であれば、同じような技術と同じような素材で同じような建物が建っていました。それがその地方の気候や生活様式によって育まれたものだったから、地方によって違う街並があったんですね。今では技術の発達によりどこでもどんな様式でも建てられるようになりました。それとともに、古い意味での街並は失われてしまったわけですが。

先日立ち寄った長野県の小布施町はとても良い街並でした。小布施町は観光が主な産業で、街並も主には観光資源としてつくられているようです。観光目的の街並づくりは、とかく押し付けがましいものになりがちですが、小布施町の街並は住んでいる人々の生活を犠牲にしていないというか、とても自然な感じがしました。建物の多くは新しいものなのに、古くから残っている多くの蔵やわずかな民家とちゃんとバランスがとれていて、緩やかな規制の中で人々が積極的に街並づくりに参加している気配がにじみでていて、心地よさを感じました。

ひとつひとつの建物を設計するときは、もちろんそこに住む人、建てる人の夢の実現を第一に考えています。でも同時に、まわりに住む人にとってどう存在するかということも、とても大事にしたい部分です。(H)


#0042005/9 一編の詩

私の在学中に退官された教授が、先日、ドロシー・ロー・ノルトの『子ども』という詩をワープロ(パソコンじゃなくて)でプリントしてくれました。存在は知っていたのだけどあらためて調べてみると、子をもつ親たちにとても人気のある人、そして作品なんですね。カタカナの「ドロシー・ロー・ノルト」で72,000件も検索にヒットしました。そういえば、皇太子が誕生日の記者会見で紹介していましたね。

教授曰く、今の若者が少しおかしいのは僕たちの世代に責任がある。設計者は、日本の建築・住宅が子どもたちに対して悪い影響を与えていることに気づかないといけない。そして気づいている人はちゃんと変えていかないといけない、とのこと。建築が人生に与える影響力を軽視しないこと、住宅を設計する責任の重さに対して気づかない振りをしないこと。これが、設計者に求められているのだと、教授はいうのです。そして、今はほとんど住宅設計をしていない教授が「僕にはこんなプリントを配るくらいしかできないから」といって現役たちに配ったのがこの詩です。


『子ども』  ドロシー・ロー・ノルト  川上邦夫訳

批判ばかりされた子どもは  非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは  力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは  ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは  鈍い良心のもちぬしとなる

しかし、激励をうけた子どもは  自信をおぼえる
寛容にであった子どもは  忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは  評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは  公正をおぼえる
友情を知る子どもは  親切をおぼえる
安心を経験した子どもは  信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは  世界中の愛情を 感じ取ることをおぼえる


私の描く建築にその力があるだろうか。ふいに渡された一枚の紙がとても重く感じるのです。(H)


#0032005/7 夏雨

「暑いですね」があいさつ代わり。気がつけばもうそんな時期になったのかと思います。服装も半袖か長袖か迷わなくなりました。

こちら名古屋では梅雨入りしたというのに、雨がほとんど降らず一日中降り続ける事は皆無です。題名を「梅雨」にしようかと悩みましたが、梅雨らしくないお天気のため、それでも時々降る気まぐれ雨をテーマにお話をしたかったので「夏雨」に決めました。

皆さんは夏の雨について何か思い出はありますか?私はジリジリ照りつける太陽の中、突然降り出した雨で道路のアスファルトから上がる蒸気のにおいと、珈琲牛乳色の水たまりを思い出します。昔の道路はデコボコしていて雨が降ると巨大な水たまりができました。そこにお気に入りの、白地にピンクのラインが入った長靴で水たまりの一番深いところに立つのが大好きでした。しばらくじっとしていると、珈琲牛乳色が次第に透明になり、雨上がりの青い空と白い雲が浮かんできます。もう少しじっとしていると、もしかしたら水たまりの中の反対の世界に行けるのではないかと思い、日焼けするのも気にせずただひたすら待っていた事が幾度もありました。水たまりの世界に行った事を他の人に知らせるため、目印にビー玉を置くのがルールで、帰りはビー玉目指して元の世界に戻るつもりでした。

あれからもう20年近く経ちましたが、水たまりの世界が無い事と、道路に水たまりが出来なくなった事、そして長靴も履かなくなった私に、アスファルトの蒸気だけが夏の訪れをお知らせしてくれます。(優)


#0032005/4 

春ですね。夏は暑くて「夏ですね〜」と言い、冬は寒くて「冬ですね〜」と言いますが、春はあったかくなったからということより、春らしいいろいろなできごとに対して「春ですね〜」と言っている気がします。

事務所の隣は駐車場になっているので、窓の前が少しひらいています。そこから、少し離れた高層ビルや裏の庭に咲くさくらを見ることができます。私たちはこのさくらを見ながら(一部の人はかゆい目をこすりながら)午後のコーヒータイムを、春の気分にゆだねて過ごしています。

少し規模の大きい取引先に電話をかけると、新人さんが緊張した声で電話に出てくれます。「○○さんはいらっしゃいますか?」と聞くと「○○さんは今、いません」と返してくれます。この時期に、こういうやりとりで「あそこの新人はなってない!」とか言って怒る人ってあまりいないですよね。季節ものだし、かえってホッとしたりして。

窓の外のさくらを背景に模型をつくるスタッフは、白いTシャツ1枚。隣では鼻をかむ音。いや、まさに春ですね〜。(H)


#0022004/8 ブリコ1年

木造家屋をリノベーションした事務所で1年が経ちました。

木造建築が職場であった経験は初めてで、身体感覚に親近感があるせいか、リラックスして仕事をできる気がします。小屋組をあらわした打合せスペースはメンバーにとっても心地よい空間となっています。

このリノベーションによって新しくできた空間の中に、人々が集まってきました。仕事をする人、住んでいる人、遊びに来た人などが顔を合わせます。そこで新しくできた場(コミュニティ)のようなものがあります。そこでの人間の距離感は、適度な距離を保ちつつ、安心感のある距離です。ワンルームマンションの隣人のように近くて遠い存在ではないし、ハイテクオフィスのように生活感の希薄なクールな存在でもない。なつかしいようで新しい感覚です。

オフィスと住居、分割されがちな機能をつなぐこと。昼夜や休日など活動時間帯が相反することを利用して部屋をシェアしたり、無人状態を減らすことで防犯性を高めるなど、お互いにメリットをもたらすということも考えられます。

都市居住の利便性を享受しつつ、巨大な都市の中で身体感覚を持続できる心地よいリノベーション空間があります。(W)


#0012003/9 コンバージョン/リノベーション

事務所設立にあたり、築42年の古い和風木造家屋の内部を、職住の混在する現代的な空間にコンバージョン/リノベーションし、そこへ私たち自ら入居しました。

ここには bricoleur の事務所と、メンバーの家族一組とに加え、他に2人の単身者が住人として同居しています。私たちは都市にいかに棲みつくのかという感覚として、多くの同世代の人たちと同様、部屋をシェアしたり自分に合った空間に改造するということをしながら暮らしています。

リノベーションをするということは、建物の歴史をひも解くと同時に自分自身の歴史をさかのぼる作業です。そこで営まれたであろう暮らしの様子と、自分が今まで営んできた暮らしの様子を掘り出し、比較し、そこから次の暮らしのモデルを抽出して、その暮らしぶりを夢見て新しい空間を構築する、そういう作業だと考えています。(H)

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